記 事
単身赴任ハカセの少女マンガ研究ノート  第1回

非生物の「かばん」に語らせる新たな表現手法

研究者は四六時中悶々と何かを考えている。そしてどんなくだらない事でも、論理的にその因果関係を明らかにしようと唸っている。ましてや自分の心が「ウッカリ」動いてしまった時などは黙っていられない。そんな心に響いたマンガを分析してはホッとする、単身赴任ハカセの研究室へようこそ。
かばんとりどり ウラモトユウコ

ウラモトユウコの最新作が届いた。かばんとその持ち主を巡るオムニバス作品『かばんとりどり』だ。
彼女の特徴であるさらりとした人物描写やシンプルな背景の描き込みは変わらないが、読み終えてみると過去作とは異なる印象が残った。さらっと、軽快に受けとめられる書籍のイメージと反して、とても濃厚なドラマを見終えたときのような感覚になったのだ。

淡白に仕上げられているはずの作品が、なぜこんなに深く印象に残るのだろうか。研究者の悪い癖で、一旦考え出すと答が見つかるまで止まれない。そして、行き着いた答は「この作品には主人公が2人ずついるからではないか」というものだった。

まず、本作『かばんとりどり』について説明しておこう。構成はオムニバス作品なので1話完結。主人公も、一部姉妹や同僚でリレーする事もあるが各話ごとに交代する。女性である事が共通している以外、主人公の年齢、職業も小学生からOLまで様々である。そうした彼女達と彼女達が持つかばんを中心に展開される作品だ。

私が読後の不思議な感覚を解くための足がかりを得たのは、帯にある「女子のかばんには理由がつまっている。」という一文であった。そのまま読んでしまえば「なんのことだろう」と流してしまうが、読後に触れると、ハッとさせられる。勝手に言い換えるなら「女子のかばんは持ち主の分身である」ということなのだ。

あまり「女性」「男性」をわけて議論する事を好まない人もいるかもしれない。しかし、一般的に男性はかばんに機能を求める傾向が強いように思う。どれだけ荷物が入るか、ポケットが何箇所ついているのか、防水素材か云々。いわばツールを格納、運搬するためのメタツールとしてかばんを選んでいるのだ。少なくとも私はそうである。

一方、女性は機能よりもシチュエーションを考慮してかばんを選んでいるのではないか。なぜなら女性がいう「ツカエルかばん」というのは、多くの場面や服装に合わせる事が可能なかばんのことで、容量や耐久性は二の次にされていると感じるからである。

そして、かばんの中身=アイテムについても男女で違いがあるのではないか、と私はさらに仮説を掘り下げた。男性は前述のようにかばんにツールを詰め込む感覚で、いわば日曜大工のツールボックスの延長のようにアイテムを詰め込む。だから、例え中に収まったアイテムについて何かを語るとしても、それは個々のアイテムのスペックであって、決して叙情的なストーリーでは無いはずだ。

一方、女性のかばんの中身にはストーリーが欠かせない。本作中にも幾度と現れるが、その日(あるいは今後)起こるであろう事態を想定し、それらに対応できるようストーリー上にアイテムが選定される。そして想定されたストーリーに合わせてアイテム達が機能する事により、それら自体にストーリーが染み込む。ゆえに、かばんに入っているアイテム達が一体となってストーリーを構成すると同時に、個々のアイテム自体もストーリーを背負っており、かばんの中に時間と奥行きをもった意味の多次元空間が発現しているのである。こんなに熱を込めて書くと、女性のかばんに対して幻想を抱き過ぎだと思われるだろうか。

だが、あえて仮定してみたのだ。「女性のかばんは持ち主のストーリー無しには成立しない、持ち主の分身となる存在である」と。その検証のために、女性のかばんの中に入っているアイテムを全て取り出して並べたとしよう。そして、それらを同じ機能をもつ別のものと置き換えたらどうなるだろうか。そう、使い込んだ手帳を(情報は移行させて)別の新しい手帳に、週末アイロンをかけたハンカチを新しいハンカチにと言った具合に。果たして機能としては同じかばんが出来上がるはずだ。だが、それは何の価値も持たない存在になってしまうのではないか。

すなわち女性のかばん世界においてストーリー(あるいはコンテクストと言っても良い)の欠落は、その存在意義を決定的に失わせる可能性が高いのである。つまり、かばんとその中身は持ち主自身のアイデンティティや積み重ねてきた人生そのものであり、それをまとわない品々で取り繕われたところでそこに自分を見いだす事ができなくなる。正に、かばんは記号の集積によって成り立っているのではなく、持ち主を象徴する存在であり、かばんは持ち主の分身になっているのだ。(男性は機能さえまかなえれば、多少アイテムが入れ替わっても納得するかも知れない。僕だったら余程のこだわりの品以外は新しい事を喜んでしまうかもなあと思う。ここについては、より時間や手間をかけて調査する必要があるだろう。)

ここまで書くと、私がこの作品から感じ取った不思議な印象の原因を「この作品には主人公が2人ずついる」と結論づけた理由がおわかりいただけるのではないだろうか。各話では主人公が行動し、発言しているのと同時に、その傍らで分身たるかばんが寡黙にもう一人の主人公を演じている。それゆえに主人公の存在感は相乗的に大きくなるし、彼女達のプロファイルもかばん内のアイテムを介して再述、共有されるので、個々のキャラクターがかぶらず、読み飽きる事が無い。

マリオ・プラーツの言葉を変えていえば「あなたのかばんに何が入っているか言ってごらんなさい。あなたがどんな人間か話してあげますよ」というわけだ。

印象に残るマンガを作るための表現を思い浮かべると、密な描き込みや壮大なストーリー、強烈な台詞、奇想天外なキャラクターなどが思い浮かぶ。しかし『かばんとりどり』で用いられた手法はそれとは全く異なっている。それは作者の個性である、さらっと軽快な世界観を保ったままに主人公にまつわるストーリーを増加させ、濃厚な作品を味わったかのような感覚を生み出すものである。

納得。あぁ、スッキリした。

おそるべし、策略家、ウラモトユウコ(とその編集者)である。

文=いけだこういち
1975年、東京生まれ。マンガナイト執筆班 兼 みちのく営業所長。好きなジャンルは少女マンガ。谷川史子、志村貴子作品をマイ国宝に指定している。東京に妻子を残して単身みちのく生活。自由にマンガが買えると思いきや、品揃えが良い書店が近所に無いのが目下の悩み。研究論文も書かなきゃね。

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