マンガがつなぐもの―国・時間・人―「マンガ!Manga!Mangà!-日系人とマンガの世界-」展

第1回となる今回は、日本と海外をつなぐ玄関としての歴史を持つ街、横浜で開催中(〜2015年2月15日)の展示「マンガ!Manga!Mangà!-日系人とマンガの世界-」の模様をお届けします。第0回でご紹介したケン・ニイムラ氏をはじめとした世界で活躍する日系人マンガ家の紹介から、離れた地で日本を想う日系人とマンガとの関わり方まで、世界をつなぐマンガの歴史と今がわかる内容です。

桜木町のワールドポーターズや赤煉瓦倉庫… 人気観光地のすぐそばに、JICA横浜という施設があるのはご存知だろうか? このJICA横浜内の海外移住資料館で「日系人とマンガ」をキーワードにした企画展示が行われている。小規模な展示ながら、世界の共通言語となった“Manga”の力を改めて感じられる興味深い内容だった。

image1 image2

JICAとは日本の政府開発援助(ODA)の実施機関であり、開発途上国への国際協力を行っている。そして、JICAの国内拠点のひとつであるJICA横浜では、かつて多くの移民が横浜港から旅立った歴史などから海外移住資料館を併設しており、日本移民史を学べる常設展示もある。

今回の「マンガ!Manga!Mangà!-日系人とマンガの世界-」は、ここでの特別展示にあたり、日系人と関係のあるマンガを下記の5つに分類して紹介している。

<移民史に関するManga>

日本人移民の歴史をテーマにしたマンガ

<日系人に関するManga>

著名な日系人や日本のイベントをテーマにしたマンガ

<日系人によるManga>

日系人自身が描いているマンガ

<日本語学習のためのManga>

日本語を学ぶためや、日本文化・歴史を知るためのマンガ

<マンガブームによるManga>

海外でのマンガブームが後押しとなり作られたマンガ

パネル展示18枚のほか、収集したマンガ75冊、3名のインタビュー映像を見ることができる。

image3 image4

展示のメインとなるパネルは丁寧な解説付きで、日本移民についても学べる。
<日系人に関するManga>の中には「バンクーバーの朝日」として映画化され話題となった、カナダ野球の殿堂入りを果たした日系人チームを描いたマンガ『バンクーバー朝日軍』の展示もあった。

image5

<日系人によるManga>の作品展示は、必ずしもストーリーが日系人に関係しているというわけではないが、歴史的な価値のあるものも多い。例えば海外で日本人が描いたマンガで最も初期のものとしてヘンリー木山義喬による1931年の『漫画 四人書生』(写真・下段左)がある。アメリカでの生活習慣の違いに悪戦苦闘する日本人学生の姿をおもしろおかしく描いたものだそうで、ほのぼのしたタッチに心惹かれる。

最近のものとしては日系スペイン人のケン・ニイムラの作品が展示されており、2012年に第5回国際漫画賞で最優秀賞を受賞した『I KILL GIANTS』(写真・下段右から二番目)、2014年の短編集『ヘンシン』(写真・下段右)は、アメコミやBDなど海外のマンガが苦手な人でも、シャープな雰囲気が日本のマンガに近く手にとりやすい印象を受けた。

1月17日(土)には、担当学芸員によるトークショーも開催され、日系人とマンガの関わり方や、展示作品についてより深く知ることができた。トークは日系人がマンガに描かれた(描いた)移住国に、どのように貢献しているかについて及ぶことも。

image6 image7

このスライドで紹介されているのは、南米で描かれた実在の日系人、または日系人として描かれたキャラクター。一目見ておわかりの通り、ほとんど一筆きのような細い目をしている。ブラジルでは日系人のことを、愛称として「オーリョス・ プシャードス(引っ張られた目)」と呼ぶそう。
昔の外国映画では、日本人を描くときのアイコンとして「メガネとカメラ」を持たせることが定番だったが、マンガ表現からも、外国人から見た日本人(=日系人)の特徴がわかっておもしろい。

image8

トークショーのなかでも興味深かったのは、各国への日本人移住百周年記念事業の一環として、マンガの出版が相次いだという話。例えば、ペルーには1899年、ブラジルには1908年に初めて日本人が移住したのだが、二世・三世と代を重ねるうちに、どうしても日本語や日本移民の歴史を知る人は少なくなってくる。そこで若い世代、次の世代に日本人移住の歴史を伝えるために「マンガ」という手段が選ばれたのだ。<移民史に関するManga>である。
更に、特殊なケースではあるが、ブラジルでは2008年の日本人移民百周年を機に「ブラジルの手塚治虫」と呼ばれる巨匠マウリシオ・デ・ソウザが、自著『モニカと仲間たち ユース版 43号,44号』で鉄腕アトムやリボンの騎士、ジャングル大帝をコラボレーションさせている。見慣れた手塚キャラの表情が、どことなく外国風(ブラジル風?)である点も楽しい。

image9

実はソウザと手塚治虫は親交があり、いつか一緒にマンガを描く企画を温めていたという。亡くなった手塚との約束を果たすため、ソウザ自ら手塚プロダクションに連絡をとったのだそうだ。ソウザの夫人は日系二世で、マンガチームのスタッフにも日系人がたくさんおり、日本との関係も深い。
この贅沢なコラボ作品のテーマはアマゾンの自然保護。それだけで骨太でおもしろそうだが、ブラジルのマンガ界を代表するキャラクターと、日本を代表する手塚のキャラクターが一緒に活躍すると聞くだけでわくわくする。日系人キャラも登場するらしい。ポルトガル語版だけでなく、日本語翻訳もしてくれないだろうか… 是非読んでみたいと思うのは、私一人ではないはずだ。

image10

日本から遠く離れ、見知らぬ土地に移り住むことを決意した移民たち。夢を追い求めたにも関わらず、言葉や暮らしの壁に直面し、厳しく過酷な労働、差別や偏見にも苦しんできた。日本人街で触れるマンガ雑誌や新聞のマンガ絵などに、どれだけ励まされたか… 想像に難くない。

また今回の展示では、普段の来場者層よりも若い世代が訪れたり、今までJICAを知らなかった/接点のなかった人たちからの反響もあるそうだ。「移民、日系人…なんだかよくわからないけど難しそう」そんな敷居の高さを感じる人にも「マンガ」というキャッチーな要素をかけあわせることで「おもしろそう、ちょっと見てみようかな」という気軽さを演出できるのではないか。
好評を受け、今後も「マンガ」を切り口に企画展示を行う考えもあるそうだ。気軽さや来場者とのコミュニケーションの点でも、企画関連のマンガや資料のいくつかが自由に手に取って見られるなど、展示に工夫があれば嬉しい。パワーアップした企画の実現を期待したい。

マンガが遠く離れた国を、時間を、そして人をつなぐ媒体になりえる。専門知識がなくても、特別な装置がなくても、場合によっては言葉さえわからなくても、誰でもどこでも親しめる。「日系人とマンガ」のキーワードから、マンガのもつ普遍的な力を改めて感じることができた。
そして、ふと思い出したのは、フランスの漫画家と日本在住の作家がそれぞれ「日本」を描いた2005年出版の『JAPON―Japan×France manga collection』。企画が素晴らしいことはもちろん、6カ国語で同時発売というのに制作側の「本気」を感じた。
近年はWEB掲載のマンガも増えている。海外からアクセスすることも容易だ。ブラジルのソウザと日本の手塚のコラボレーションが、日本ではあまり知られていないという事実も踏まえ、世界共通語となった’’Manga’’が、より広い世界を「つなぐ」ために、映画や書籍と同様、海外での発売・掲載を視野に入れた展開が増えることを願う。
(山口文子)

会期
2014年12月13日(土)〜2015年2月15日(日) 10:00〜18:00(入館は17:30まで)
会場
JICA横浜2階 海外移住資料館 企画展示室
入場無料

マンガ→アートの原点を探る旅

こちらのコンテンツは、PingMagからの許諾を得ての転載となります。
元ページの記事はこちら。元ページの英文翻訳記事はこちら

世界に誇る日本のアートのひとつになったマンガ―なぜこの大衆文化はアートにまで昇華され、日本を代表する表現形式となったのか。その答えを教えてくれるのが東京都現代美術館で9月上旬まで開催された特別展「手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」だ。

この展示では、手塚治虫・石ノ森章太郎両氏を、「時代の流れ」という縦の線と「マンガ家同士のつながり」という横の線でつなぎ、マンガという大衆文化がアートになり、その領域を広げていく過程がわかる。多くの人は彼らが作品を見ると「どこかで見たことがある」という感覚におそわれるが、それほど彼らの作り上げた表現方法は、国内外で人々の感覚や生き方に浸透しているのだ。

「マンガのちから」はは9月8日まで東京都現代美術館で開催。11月から来年春にかけて大阪歴史博物館や宮城県美術館など全国4カ所を巡回する。

“マンガの神様”手塚治虫氏と“マンガの王様”石ノ森章太郎氏。この2人はそれぞれ個人の記念館があるほど実績があり、仰ぐべき存在だ。なぜ今彼らを同時に取り上げて展示をする必要があるのだろうか? ――それはこの2人とその仲間たちで今のマンガ表現の基礎が作られたからだ。

主催のNHKプロモーションの鈴木俊二展博事業部担当部長は「2人は現在のマンガにつながるマンガ表現そのものを作ったクリエイター。その後に続いた人たちが発展させたことでマンガは社会に根付いた」と話す。普段はアート作品の展示が中心に東京都現代美術館という場所で、両氏の作品を現代アート、ポップアートの文脈でとらえ直すという狙いもある。

tezuka-ishinomori01©手塚プロダクション ©石森プロ_R

展示された原画や作品も、2人の関係性のわかる作品が中心だ。手塚プロダクションや石森プロが、2人のつながりなどがわかる作品を選りすぐった。高校生だった石ノ森氏が臨時アシスタントとして手伝ったという、手塚氏の『鉄腕アトム』の原画など興味深い展示が多い。これらはプロローグと4つのパートにまとめられ、順に見ていくと日本経済が成長する中で、マンガの表現方法や領域がどのように進化していったかがわかる。

第1部「ふたりの出会い マンガ誕生」は両氏の出会い編。一足早くマンガ家として活躍していた手塚氏と、宮城県で同人誌『墨汁一滴』を主催していた石ノ森氏。石ノ森氏は当時のマンガ雑誌『漫画少年』への投稿を通じて、その才能を手塚氏らに認められていたようだ。

tezuka-ishinomori02石ノ森章太郎氏らが主催した「墨汁一滴」

tezuka-ishinomori03高校生の石ノ森氏が臨時アシスタントとして手塚氏の原稿を手伝ったエピソードも

第2部「爆発するマンガ 時代への挑戦」は、手塚・石ノ森両氏が日本経済の発展とともに、月刊誌から週刊誌、さらにはテレビ雑誌や学年誌と活躍の場を広げていった時代をまとめた。1964年の東京オリンピックをきっかけに家庭用テレビが普及したことで、テレビアニメの時代が到来。『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『サイボーグ009』などマンガのアニメ化による「メディアミックス」がスタート。鉄腕アトムの制作費を確保するために、おもちゃメーカーなどに版権を付与し始めたこともわかる。

tezuka-ishinomori04会場では原画とアニメを同時に楽しめる

tezuka-ishinomori05『鉄腕アトム』はアニメ化、キャラクター商品化とメディアミックスの先駆けだった

マンガ家が子ども向けテレビ番組のオリジナル設定・ストーリーを本格的に作り始めたのも石ノ森氏の『仮面ライダー』の頃からだといわれている。石ノ森氏案の段階で、戦隊物の色分けがすでに行われていた。

tezuka-ishinomori06戦隊物は石ノ森氏の案の段階ですでに色分けがされていた

第1部、第2部で蓄積された作品は、第3部の「“ちから”の本質対決」につながる。「いのち」「戦争と平和」「女性観」などテーマにあわせてそれぞれのマンガ家の作品から象徴的なシーンを選び、壁やカプセル内に展示。「2人の作品を知らない人でも楽しめるよう、それぞれのマンガ家の特徴的な表現やストーリーを抽出した」(NHKプロモーションの鈴木氏)という。それぞれのテーマの作品を見ながら、描き方の違いや共通点を考えてみるのも面白い。

tezuka-ishinomori07「科学」というテーマで両氏の作品から象徴的なシーンを選んで展示

tezuka-ishinomori08「映像的表現」というテーマもはずせない

これらの展示を通じてわかるのは、現代のマンガ表現方法や産業の基礎がほぼ彼ら2人とその仲間たちによって作られたということだ。彼らはそれまでのマンガ表現を元に、映画や舞台などマンガ以外の分野から表現方法を取り入れていった。擬音の描き文字、モブシーン、陰影、クローズアップ、大胆な構図…現代のストーリーマンガで一般的に使われる表現方法の多くは手塚氏らが黎明期のマンガで挑戦したものだ。

tezuka-ishinomori09有名な「新宝島」の映画的手法を使ったコマ

それは「グッズ付特別版単行本」「キャラクター商品」などマンガ産業・メディアミックスの展開でも同様だ。ビデオソフトやゲームソフトなど新たなメディアの立ち上がりも後押しした。

tezuka-ishinomori10石ノ森章太郎氏の「佐武と市捕物控」ではグッズセットの豪華版がすでに発売されていた

マンガ家同士も、お互いの作品や描き方を強く意識していた。年代順に原画を見ていくと、石ノ森氏の初期の作品は、手塚氏の絵の線の感じに似ているが、徐々に独自の線の書きぶりになっていくことがわかる。

tezuka-ishinomori11「墨汁一滴」のころの石ノ森氏の絵柄(左)

tezuka-ishinomori12「古事記 マンガ日本の古典」のころの絵柄。すでに石ノ森スタイルになっている

だマンガへの姿勢は2人の間で微妙な差があったようにも思える。常に先導者としての自覚のあった手塚氏と、その手塚氏の切り開いた道の中で自由に振る舞えた石ノ森氏。「マンガという文化を世の中に認めさせたかった手塚氏にとって自分に追従してくる後継者はライバル。一方で石ノ森氏はとことん楽しんで描いていたのでは」(NHKプロモーションの鈴木氏)。

tezuka-ishinomori13手塚治虫氏

tezuka-ishinomori14石ノ森章太郎氏©石森プロ

もう一つわかるのは、当時のマンガ家がいかに当時の大きな娯楽であった映画やクラシック音楽に傾倒していたかということだ。『アパッチ砦』『我等の生涯の最良の年』――第1部では第2次世界大戦後に日本で公開されたアメリカ映画の白黒映像が流れる。会場内に再現された、「トキワ荘」内の石ノ森氏の部屋の床には無数のレコードが積み上がり、8ミリカメラも展示されている。石ノ森氏はテレビ『仮面ライダー』シリーズで監督を務めたこともある。

tezuka-ishinomori15トキワ荘内の石ノ森氏の部屋の再現。レコードがつみあがっている

もちろん手塚氏の取り入れた映画的表現も解説されている。手塚氏は「戦争で子どもの娯楽が少なくなったなかで、子どもが手にできる紙媒体に映画の面白さをとじ込めようとしたのではないか」(NHKプロモーションの鈴木氏)。そしてその試みは、当時子どもだった人々に衝撃を与え、マンガ家の道に導いた。

tezuka-ishinomori16トリビュート作品を取り込むことで、マンガの世界はさらに広がる

彼らの築き上げた「マンガの力」の行き着くところはどこか。それが第4部に集められたトリビュート作品だ。神様と王様が生涯描いたマンガ作品は短編・長編を含めると非常に多い。子供向けだった『鉄腕アトム』『ジャングル大帝レオ』『仮面ライダー』から青年向けの『BLACK JACK』『HOTEL』と、当時一緒に活躍していたマンガ家や若手のクリエイターは、様々な場面で手塚・石ノ森両氏の作品に触れ、影響を受けてきた。もちろんマンガ家以外のアーティストらへの影響も見逃せない。たとえば中村ケンゴ氏。彼は手塚氏が群衆シーンなどで多用してきたキャラクターの線を組み合わせることで新たな現代アートを作り上げる。福士朋子氏もコマ割りや擬音語などマンガの構造や文法を取り入れるアーティストの1人だ。

tezuka-ishinomori17人気アイドル、桃色クローバーZが「サイボーグ009」のキャラクターに変身

個人的にはこのトリビュートのひとつに、今夏日本で公開されたハリウッド映画『パシフィック・リム』も加えたい。監督が直接、日本のマンガ・アニメを見たのかは確かではないが、「KAIJU」が人間社会を襲う様子、選ばれた人間がロボットともに戦うという設定、ロボットのエネルギー源が原子炉ということなど、手塚・石ノ森両氏の考え出した世界を彷彿とさせた。

こうした多様なアーティストによるトリビュート作品には石森プロ・手塚プロダクションともに乗り気だったという。そして、寄贈に近い形だったが多くのアーティストから賛同を得られた。「今、マンガ家という仕事が成立しているのは2人のおかげという思いもあったようだ」(NHKプロモーションの鈴木氏)トリビュート作品やオマージュ作品は、これまでいろいろな場面で目にすることができた。しかしオリジナル作品と同じ空間で展示されるようになったのは、マンガという文化がその領域を一段と広げたことの証左だろう。

展覧会の企画中に起きた2011年3月11日の東日本大震災も展示の方向を決めた。震災後、何ができるかを考えさせられていたところ、奮闘する宮城県石巻市にある「石ノ森萬画館」や宮城県の書店で回し読みされた週刊少年ジャンプ…とマンガの力が人々を明るくする様子を目の当たりにした。「『日本にはマンガがある』と強調するために、タイトルも『マンガのちから』にした」(NHKプロモーションの鈴木氏)

tezuka-ishinomori18マンガのちからは東日本大震災の被災地の応援にも力を発揮

手塚・石ノ森両氏によってDNAにマンガを組み込まれた私たち。この所業はひとりの天才だけでもできなかったし、凡人だけでもできなかった。マンガ家やマンガフリークたちはいまだに手塚・石ノ森両氏の手のひらの上にいるのではないか――そんなことを思わせる展覧会だった。(bookish)

今後の開催予定

広島展
2013年11月15日~2014年1月5日
広島県立歴史博物館
大阪展
2014年1月5日~3月10日
大阪歴史博物館
山梨展
2014年3月21日~5月19日
山梨県立博物館
宮城展
2014年5月31日~7月27日
宮城県美術館